こんにちは、ジュンです!
先日、こんな記事を書きました。
結局GWを挟んだので、検査の結果が出るまでに15日ぐらいかかりました。
今回はその結果と、入院して痛感した4つのことを書きたいと思います。
あなたの人生に重ねていただければ幸いです。
検査の結果…腫瘍ではなく炎症性の血豆でした
入院前の触診では、なんか「腫瘍っぽい感触がある。しかも小さくない」というのが担当医の診察でした。
その後の内視鏡検査でも、血まみれの物体が発見されており、「ちょっと大きさ的に悪性の可能性もあるよね…」という雰囲気に。
※元々の腫瘍が良性でも、大きさが2cmを超えると50%以上の確率で悪性に変わる
しかし検査の結果、「細胞から腫瘍性の反応は出ず、炎症性の反応だけが出た」と担当医に言われました。
そしてあらためて内視鏡の検査をやることに…
肛門から直腸へカメラを突っ込むと…腫瘍がなくなっている!!
その代わりに、いつもの炎症反応の名残りが見受けられました。
結局どういうことかというと、腫瘍に見えたのは、炎症による血豆や血袋のようなものだったのです。
長い間、直腸から少量の出血があったので、徐々に塊になっていったんだと思います。
マジで人工肛門を覚悟した
潰瘍性大腸炎を患うと、その後、大腸がんになる可能性は通常の人よりも高いです。
たしか10年以内で10%ほど、20年以内で20%ほどの患者が大腸がんを患うデータが出ています。
しかも潰瘍性大腸炎の場合、大腸がんになると、大腸の全摘が基本だそうです。
(全摘とは「全部を摘出」の意味です)
その理由は、潰瘍性大腸炎を患うと、がん細胞が大腸内に転移する確率が高くなるからです。
大腸を残して、繰り返し大腸がんができる可能性があるなら、いっそ全摘してしまおうという考えですね。
また今回、仮に細胞が良性でも、人工肛門を強いられる可能性がありました。
それは腫瘍(と思われていたもの)の場所が肛門から近く、大きかったためです。
腫瘍が深層まで広く達すると、広い範囲で腫瘍を切除しなくてはいけません。
その場合、肛門の括約筋まで広く切除するため、肛門の機能を果たさなくなる可能性があります。
これらのことから、正直私は人工肛門を覚悟していました。
「腫瘍じゃなくて血豆でしたーヽ(・ω・)/ズコー」の可能性は低いと見ていた私。
装具のことや、障害者手帳の申請方法などを、仕事の合間に少し調べて落ち込んていたので、ほっと胸を撫で下ろしました。
ただ今回は大丈夫でしたが、潰瘍性大腸炎の患者は大腸がんを併発する確率が高いです。
よって今後も人工肛門のリスクを背負い続ける必要があります。
今回の入院で痛感した4つのこと
今回の入院期間は20日ほどでした。
この間に痛感したことを5つにまとめてみましたので、ひとつずつ見ていきましょう。
家族や友人のありがたみ
これが一番ですね。
とくに奥さんは毎日お見舞いに来てくれました。
仕事も家事もある中で、自分の時間がかなり削られたと思います。
図書館へ通い、大腸がんについても色々と調べてくれたので、感謝してもしきれません。
食事ができるありがたみ(4度目)
今回は短かったですが、1ヶ月単位の絶食は何度やっても、ひもじくてつらいです。
退院後は何かを食べる度に、今までにない感動が味わえます。
舌が敏感になっているんですね。
これは絶食を経験しないと、体験できない貴重なことだと思います。
気にしすぎないことの大切さ
私は生粋のネガティバーです。
結果待ちの間、大腸がんの可能性に怯え続けるのは、精神衛生上よろしくないと思いました。
したがって結果を気にしすぎないように、仕事をこなしたり、病気について調べすぎないようにしたりと、心穏やかでいるための工夫を重ねました。
入院中でも「今日はここまでやろう」と、1日のスケジュールを立てて作業に没頭したので、時間の流れは早かったですね。
「結局、家に籠もってやってるのと変わらないよなー」とかも感じて、20日間があっという間でした。
日常がずっと続かない可能性(n度目)
重篤な方からしてみたら、私のケースなんて大したことではないのかもしれません。
ただ転移層まで腫瘍が育っている可能性もあったので、「もしこのまま癌を繰り返す人生になったら、生きがいってなんだろうなー」と思いにふけることもありました。
何かが起こらないと、日常のありがたみが再確認できない人もいると思います。
あと毎日のルーティンで忙しいときも、人生を考える時間が取りにくいですよね。
なんか説教臭いですが、そんなときでも一度立ち止まって、自分の手足や内臓などが正常に機能していることを実感できると、背筋がシャキッとするかも知れません。
かくいう私も、肛門が肛門の位置にある当たり前のことが、今とてもありがたいです。
まとめ
以上、入院して痛感した4つのことを書きました。
・食事ができるありがたみ
・気にしすぎないことの大切さ
・日常がずっと続かない可能性
これらは心身ともに健康だと見落としがちですが、たしかにあることです。
たとえば
「今、何気なく口に含んで咀嚼しているその食べ物は、本当に自分の日常なのか?食べているのは当たり前のことなのか?」
一度そのように立ち止まり、自問するといいかもしれません。