はじめにお読みください

はじめにお読みください

プロフィールへアクセスいただき、ありがとうございます。
自分の暗い部分をさらすのは恥ずかしいですが、この記事を通じて、

  • 私がどうして難病で死にかけたのか
  • 今どうして自由な生活を送れているのか

といった部分を余すところなくお伝えします。

まず、私が「あれ?人生詰んだ?」と感じたのは23歳。
病室のベッドで仰向けになり、ただボーッと天井の灯りを眺めているときでした。

国指定の難病で餓死しかけました

私は23歳のとき、はじめて「潰瘍性大腸炎(かいようせいだいちょうえん)」という病気にかかりました。

潰瘍性大腸炎とは、大腸に炎症が起こり、そこから出血が起こる病気です。
簡単に言えば、「トイレにこもったきり、出られなくなる病気」ですね。

便意を24時間、いつも強く感じている状態を想像してみてください。
どこにいても、トイレの存在が気になりますよね(笑)
ただ、それでトイレへ駆け込んで、どんなに力んでもお尻からは血しか出ません。
便意が治まってくれないわけです。
そして、トイレから出てしばらく経つと、また便意が強くなるわけです。

潰瘍性大腸炎は、

  • 原因がよくわからない
  • 完治の見込みも低い

ということで、現在は国の指定難病とされています。
あの安倍総理大臣もわずらう、巷(?)では有名な病気です。

この病気にかかるまで、自分は健康的な方だと思っていました。
あまり風邪は引かず、体調不良も長引かなかったので。
しかし、その幸せな日常は、ある日「尻から血が出る」ことで崩れ去ります(笑)

汚い話が続いて恐縮ですが、最初はお尻が切れただけと思ったんですね。
ただ、その出血が何日経っても、一向に収まらない…
下痢止めや漢方薬を気休めに飲み続けても、体調は一切よくなりません。
それどころか、トイレに駆け込む回数はどんどん増えていきます。

そして、いよいよ何かを少しでも口にすると、トイレから出られなくなってしまいました。
「たぶんこれは自力じゃ治らない病気だ…」
そう観念して、病院へ行く決意をします。

検査を受けると、その場で即入院が決まりました。
主治医には、「大腸がよくなるまでは絶食ですと言われました。
人は何も食べなくても、点滴でどうやら乗り切れるそうです。

血肉を求めてゾンビと化した私

空腹の状態が24時間ずっと続くのは、人生でBEST3に入るほどのキツさでした。
たとえば、普通に暮らしていても、食事の間隔が開いてしまって、
「あーお腹すいたー!早くご飯を食べなきゃ!」
って焦るときがありますよね?
私の入院中は、あの体の警告がずっと出ていた状態です。

しかも、私が入院したのは大部屋で、周りの入院患者の方はみんな食事ができました。
1日3回食事の時間になると、食事が台車で運ばれてきます。
温かい料理のいい匂いと、みんなが食べ始める音。

当然、自分には配膳されません。
私の食事は、腕につながった必要最低限の点滴のみ。

この自分だけ食べられない状態が何日も続くと、「…これ、つらくね?」と感じるようになりました。
リフレッシュのために少し外へ出れば、どこかの家庭から料理のいい匂いが漂ってきます。
病室に戻ってテレビをつければ、運悪く食レポが流れます。

「自分だけ食べられないってなに…」
「どうしてよりによって食べられない病気なのよ…」
「そもそもこの病気、治る見込みはあるんですか…」

このように、心までひもじくなってくるんですね。
そのため、入院から2週間経つ頃には、もう起き上がる気すら起きず、ベッドの上でただひたすら大腸の回復を願っていました。

寝ているとき以外は、もう食べ物のことしか考えられません(主に肉とラーメン)。
というか、耐えられないときは、ひたすら手の甲の塩分を舐めていました(笑)

人ってたった1ヶ月で5kgも痩せられるんですね

結局、絶食は1ヶ月続き、その間に私の体重は5kg以上減りました。
この病気になったおかげで、食事のありがたみが本当に実感できました。

「こんな経験は二度とゴメンだね…ははっ」
そう笑い飛ばして、幸せな日常に戻る私。

このまま物語は終了!

…とはいきません。

この潰瘍性大腸炎というのは、急性と慢性があるんですね。
私は慢性で、結局その後、炎症を3年連続で再発させました。
つまり、3年連続で、あの点滴だけの絶食生活を繰り返したわけです。

さらに、この病気には「原因が特定できない」という、困った特徴がありました。
原因は食生活かもしれないし、遺伝かもしれないし、ストレスかもしれない…といった具合です。

そのため、私は3度目の入院中に、
「今後どこかの会社に就職しても、長期入院ばかりを繰り返したら、あっという間にクビになるのでは?」
と将来を怯えるようになりました(このときはフリーター)。

こんな欠陥品をどこが雇ってくれるというのか

会社だって、コスパの悪い人材は抱えたくありません。
たとえ最初は心配をしてくれても、1ヶ月単位の入院をしょっちゅう繰り返していたらどうでしょうか?
正直「うわー勤務が計算できないヤツを雇っちゃったなー」と頭を悩ませるはずですよね^^;
もし、そのまま会社にいられたとしても、かなり居心地の悪い状況になるのではないかと。

病気は完治せず、毎年長期離脱をする。
会社はそんな人材を長期で雇えない。

あれ…詰んだ…?

そう悲観的になると、「ただ安定して働けること」への欲求が強くなっていきます。
そんなとき、
「…あれ?公務員なら病気でもクビにならない?」
という、ひらめきがありました。

公務員であれば一生安泰だし(偏見)、実際に療養しながら働き続けている人の記事も読んだことがあります。
そのため、病気で長期離脱を繰り返しても、この体質を受け入れてくれる職場環境だろうと踏んだわけです。
そして、私は完全な見切り発車で、公務員を目指すようになります。

2年間の勉強生活!そして結果は…

公務員試験の勉強は「丸2年間」続けました。
最低限の生活費だけはバイトで稼ぎ、残りの時間はほとんど勉強にあてたのです。
自分の部屋、カフェ、図書館、地区センターなど、いろいろ環境を変えては、勉強に集中しました。
毎日10時間前後は勉強していたので、個人的には結構努力をしたのではないかと思います。

このモチベーションはすべて
「公務員なら何回入院しても大丈夫だろう!」
という、何とも自己本位な理由から来ています(笑)

そして、試験に挑んだ結果は…

なんと…

2年連続で「不合格」!!

しかも、受けた試験すべて1次も通過できず!!
工工工エエェェ(´д`)ェェエエ工工工

いや、他の合格者の受験ブログを読んでも、2年間勉強して2次に進めない人なんていませんでしたよ。
それで、私も「勉強さえすれば、ちゃんと点数に反映される」と信じてやってきたわけです。

そのため、この結果はさすがにショックでした。
20代中盤にもなって号泣したぐらいです。
全力でぶつかったのに、相手をよろけさせることすらできなかったわけです。
自分の体たらくっぷりが悔しくて仕方ありませんでした。

思い返してみると…
私は地頭も要領もよくありませんでした。

学生時代、勉強に関しては真面目で、定期テストの勉強も2週間以上前から行っていました。
それにもかかわらず、点数がさほどよくない!
むしろ平均以下の点数を叩き出す科目もあったくらいです。

他にも、勉強関係で言えば、

  • 予備校の入塾試験にすら落ちる
  • 社会で1ケタの点数を取る
  • 大学で一番楽勝と呼ばれた単位を自分だけ落とす

といったエピソードもあります。

それでも、公務員試験に挑んだときは「努力を続ければ、きっと報われる」という夢を見たわけです。
その結果、箸にも棒にもかからなかったことが、自分的にはかなりショックでした。

「俺って本当に何の才能もないな…」

と改めて実感したわけです。

子供の頃、漫画やギターをやっていましたが、一向に上達はしませんでした。
シナリオライターに憧れて、養成学校へ通ったこともあります。
ただ、そこでも「この人だけには負けないだろう」と評価した作品が、コンクールで自分より上位に扱われたことで、挫折してしまいました。
つまり、自分のふがいなさに嫌気が差したわけです。

したがって、私は今までに、本気で目指したものを実現できた試しがありません。
それでも、今回は「やれる努力はしっかりやろう」と全力で挑みました。
しかし、公務員試験に完全敗北したことで、

「努力は報われるというセリフは、努力が報われたヤツが言っているだけだ」
「才能のない人間が夢を見るだけムダ」

という、ずっと目をそらし続けた現実とようやく向き合わなくてはいけませんでした。
つまり、「才能のない人間が生きていくには、会社へしがみつくしかない」と悟ったのです。

ただ、それは同時に「人生詰んだ?」とも認めざるを得ませんでした。
私は潰瘍性大腸炎と一生付き合っていかないといけません。
そして、その病気は過去すでに3回もぶり返しています。

今後どこかの企業で働けたとしても、
「すみませーん、ちょっとお尻から血が出ちゃったので、また1ヶ月ほど休みますねー」
なんてことが許されるはずがありません。

そう考えると、いずれクビになるであろう企業へ就活する気力もわきませんでした。
私は見事、もぬけの殻となったわけです。

なんだ、自分だってやればできるじゃないか!

ちょうどそんなとき、大学時代の友人と連絡を取る機会がありました。
「まあ色々あって…うん、働いてません」

そう告げると、
「じゃあ、ここはどう?」
と働き口をひとつ紹介してくれたのです。

そこは洋服や雑貨のネットショップを運営する企業でした。
規模は大きくありませんが、老舗企業のグループ会社で、バックは安心できそうでした。
また、売上も安定しており、私はダメ元で面接を受けることにします。

私には、大した社会人経験や資格がありません。
なので、そこが心配でしたが、面接の結果、なんとか無事に採用が決まりました。

ちゃんと働くのが久しぶりなので、社会に関われている感覚は心地のよいものでした。
幸いにも体調は安定しており、拾ってもらった恩もあります。
なので、私はできる限り、その会社へ尽くそうと考えました。

ただ、その会社は規模が小さく、あまり仕事の分業化がなされていませんでした。
つまり、ひとりひとりが幅広く業務をこなす必要があったわけです。

そのため、あるときは

  1. 自分で発掘した新商品が売れる
  2. そのお客さんに自分でメールを送る
  3. 商品を棚から探し出す
  4. 自分で梱包して発送を行う
  5. 商品不良のクレーム電話に対応する

という小売業の流れをすべて自分で行ったほどです。
まるで会社の中で、個人ビジネスをやっているような感覚でした。

ただ、私は拾われた恩として、なんとか会社に貢献しようと、必死で仕事を覚えました。
地頭や要領がよくないマイナス面は、手数でカバーしていきます。
具体的には、何度も同じ作業を繰り返して、仕事を身に染み込ませていきました。

その結果、個人予算を2年連続で達成できるまでに成長できたのです。
その後は功績やキャリアが認められて、事業部のマネージャーを任されるまでになりました。

「なんだ、自分でもやればできるじゃないか!」
このとき、はじめて自分の努力が報われた気がして、心が充実感に満ちあふれました。

会社に貢献するほど、余裕はなくなっていく…

しかし、話はそこで終わりません。
その裏で、仕事の苦労は少なくありませんでした。

たとえば、自分ひとりで広い範囲の業務をこなすため、売上が増えるほど、仕事量は増えていきます。

  • 午前は前夜から溜まっていた顧客対応
  • 午後は商品の発注、新商品の発掘、発送業務の手伝い、打ち合わせ
  • 夜は在庫の管理、別の発送作業

こういった具合です。
そのため、勤務時間は次第に伸びて、終電前に電車へ駆け込む日も出てくるようになりました。

日をまたいで帰宅すると、もう食事をする気力は起きません。
そのまま布団へ倒れ込み、朝6時には出社の支度をはじめる毎日が続きます。

また、泊りがけで発送作業をしないと、出荷が間に合わないこともありました。
そのときは、梱包用のプチプチを床に敷いて寝たのですが…
会社前の道路でちょうど行われていた夜間工事の騒音で、ほとんど眠れなかったことを覚えています。

別に残業代が余分に出るわけでもない。
ただ、拾ってもらった分の恩を返そうと、真面目に働いていただけです。
なのに、

どうして会社に貢献するほど、こんなに余裕がなくなっていくんだ…?

電車に揺られるフラフラな状態の頭で、こんなことを考えていました。

予算を達成しても、毎月のインセンティブはたった1000円のクオカードです。
面接時に話した「頑張ればしっかり出る」は、どうやらこれだったようです。
おもしろーい!

「閉店請負人」がついに本領を発揮

売上と比例して忙しくなってからは、大腸の炎症もぶり返し、小さな出血が1年以上止まりませんでした。
トイレにこもる回数も増えましたが、それでも長期離脱だけは避けようと、だましだましで働き続けたわけです。

ただ、私個人がいくら頑張ろうと、会社全体の売上はずっと低調でした。
私が入社した頃は、ヒット商品があったことで、会社の売上は安定していました。
しかし、その後は大ヒットに恵まれず、全体的な売上は下がっていたのです。

そのため、社長には毎日「もっと頑張れ!」と叱られ続けました。
会社全体の売上に関して、私には何の権限も与えられていません。
それにもかかわらず、私が責められるのは、なんともおかしいような気がしました。

毎日叱られ続けることで、社内のモチベーションはどんどん下がっていきます。
そのため、新人さんが入っても、みんな半年もたずに辞めていきました。
スタッフが新しく入るたびに、仕事を教え直すのは私です。
なので、スタッフの入れ替わりが、また私の残業を増やしていきました。

それでも、私は「自分が会社を引っ張ろう」と、さらなる売上アップを目指しました。

私は学生時代に、職場が3つも潰れています。
「大企業なら大丈夫だろう」と意気込んで入った会社でも、少しずつブラック化。
最終的には、経営不振による吸収合併がなされていました。

そんな私の様子を見て、友人には「閉店請負人」とからかわれました。
そのため、何年も勤められたこの会社だけはなんとか保ってほしいと思ったわけです。

しかしあるとき、会社全体の売上の2本柱のうち、1本がばっきり折れる出来事が起こりました。
その折れた1本を立て直すことはどうしても難しく、ある日私は社長に呼ばれます。
そして、席につくなり、社長の口から

「このままだと会社が潰れる」

と告げられたのです。

その一言で、私の頭はフリーズしました。

会社が潰れる

かいしゃがつぶれる

か い し ゃ が つ ぶ れ る ?

私の中でずっと張り詰めていた糸がぷつんと切れました。

会社にしがみつかないと本当に生きられないのか?

職場の経営不振と立ち会うことが多かったため、
「この会社にこのままいたら、また同じ運命をたどる…」
そう考えると、いてもたってもいられなくなりました。

経営の改善を期待して会社に残っても、こちらが痛い目を見ることを、私は身をもって知っています。
「最後まで残ってくれてありがとう。じゃあ君たちの転職の面倒を見るよ」
そんな都合のいいことなんて起こらないわけです。

また、仕事とはまったく関係ありませんが…
ちょうど会社がごたついているタイミングに、高速道路で死にかけたことも、私の人生観を考え直すきっかけになりました。

というのも、前を走る整備不良車のタイヤから出た煙で、私の車のフロントガラスが一瞬にして曇ったんですね。
詳しくは省きますが、とにかく5秒以上も前が見えないまま、高速道路を走り続けるはめになりました。

命の危機を脱した後、震える体で
「もし今ので死んだとして、思い残すことはないか?」
と考えたときに、思い残すことばかりだったんですね。

とくに大きく思い残すのが、
『この数年間、ただ流され続けたこと』
です。

2年連続で公務員試験に落ちたとき、
「もう二度と夢をもたないし、そのための努力もしない」
と心に決めました。
ムダな努力をしなければ、挫折もせずに済むからです。

ただ、そうして会社にしがみつこうとした結果がこのザマという…
結局、しがみついた先が倒れれば、こっちも一緒に倒れるわけですね。

そして、この数年間は、自分の声に一切耳を傾けませんでした。

仕事がつらくても、
「これが当たり前。もっとつらい人はたくさんいる。自分は幸せな方だ」

待遇に不満があっても、
「自分レベルの人材なら、これでも十分に優遇されている方だ」

会社にマンネリを感じても、
「高望みしたってろくな転職先があるはずない。また現実を思い知らされるだけ」

このように自分を無理やり納得させていたわけです。
人生をよりよくできる可能性が、他にあったかもしれないのに。

「どうせ最後に死ぬなら、頑張ったって意味ないでしょ」
ずっとこんなあきらめモードでした。

それでも今回、高速道路で死にかけたことで、
「人生は限りあるのに、このまま流され続けることに費やしていいのか?」
と考えを改めるようになりました。

そして、今までにあった会社経営のゴタゴタも含めて、
「もう会社に振り回されるだけの人生はゴメンだ!」
と思いはじめます。

ネットビジネス?いやいや、まともに稼げないでしょ…(笑)

「会社に依存しなくちゃいけない不安定な人生はもうやめる」とまではいきましたが、

「じゃあ具体的に何をしよう…」

と途方に暮れます。
そして、お金の稼ぎ方をネットで調べているときに、ネットビジネスに関する記事を見かけました。

ネットビジネスとは、基本PCやスマホだけで仕事ができ、場所も選ばないビジネスモデルです。
今までは、よくわからない世界だったので、あまりまともじゃなさそうなイメージでした。
ただ、ネットビジネスの特徴として、会社へ属さずに個人単位で行えることが、私には魅力的でした。

「個人で稼げるなら、ひとつの会社に頼らず生きていけるかも?」

さらに調べていくと、フリーランスとして独立するための人材養成講座がありました。
その養成講座では、ネットビジネスの中でも、初心者にとってハードルが低い

  1. ブログ運営
  2. ライティング
  3. プログラミング

などのWEBスキルを教えてくれるとのことでした。
スカイプでの無料相談会があったので、気になった部分を代表者の方に聞いてみます。

私「ネットビジネスの中でも、どうしてこの辺りを教えてくれるんですか?」
代表者「その辺りが初心者の方にもとっつきやすいからですね」

私「私もまったくの初心者です^^;」
代表者「問題ありません。実際にほとんどの参加者が未経験スタートです」

私「えええ、それで本当に稼げますか?」
代表者「初月からいきなり月収20万円を超える人もいますよ。さらに、スキルや経験をみがいて単価を上げれば、月収30~40万円も難しくありません」

私「ライティングやプログラミングはクライアントから報酬をもらうイメージができますが、ブログは記事を書いてどうやって稼ぐんですか?」
代表者「ブログの場合は、自分の記事に貼った広告にアクセスしてもらったり、自分が紹介した商品を買ってもらったりして、収益をあげるんです」

私「えっ、それって稼げてもおこづかい程度というか、主婦や会社員の副業レベルですよね?」
代表者「いえ、月100万円を超える人もたくさんいますよ」

私「月100万!?」
代表者「はい、普通に生活する分でよければ、もっとハードルは下がります」

私「でもそんなに稼げるなら、みんなやってるのでは」
代表者「そうですね。ブログで成果を出すには、コツを踏まえた上で続けることが大事です。ただ、ほとんどの人はそのコツすら知らずに、途中で諦めてしまいます。その原因は何だと思います?」

私「…せ、成果が出ないから?」
代表者「そのとおりです。では諦める前に、少しでも成果が出ていたらどうですか?」

私「それなら、続けるモチベーションになると思います」
代表者「はい、それでこの講座では、ブログ運営で早く成果が出る具体的なやり方を教えています。ハッキリ言って、ブログの運営にセンスや才能は必要ありません。マニュアルに沿って、ただやるだけです」

才能やセンスは必要ない、ただやるだけ…
公務員試験の勉強を地道に2年間続けた身として、その言葉は魅力的でした。
そして、私はその養成講座への参加を決めます。

人生の選択肢は心の余裕につながる

「ブログは時間がかかるので、ブログを構築しながら、ライティングやブログラミングで稼ぐのが理想ですね」
講師からそうアドバイスを受けて、私はまずライティングとプログラミングに取り組みました。

ライティングとは、ざっくり言うと、WEBメディアの記事を書く仕事ですね。
プログラミングに関しても、ざっくり言うと、企業のHPを作る仕事です。

ライティングは基本ハードルが低めで、その分、報酬も低めの案件が少なくありません。
プログラミングはややとっつきにくさがあり、その分、報酬はライティングより高いです。

なので、その2つを組み合わせて実践した結果、2週間で13万円の仕事ができました。

もちろん、その道中で苦労はありましたが、
「もうちょっと慣れて単価を上げれば、個人でも普通に食べていけるのでは?」
という手応えがつかめたわけです。

そして何よりも、

  1. 今の会社に残る
  2. フリーランスになる

この2つの選択肢を得たことで、今まで自分の中にあった

「もし会社がつぶれたらどうしよう…」
「才能のない自分は、ただ会社にしがみにつくしかない…」

という不安が薄れていました。

つまり、
「人生に選択肢があると、心の余裕につながる」
ということがわかったのです。

ライティングやプログラミングが、私の性に合っていたことも幸いしました。
というのも、学ぶことに興味がもてて、実際の仕事も楽しみながらできたからです。

会社員であれば、最低でも1日8時間、週40時間は勤務すると思います。
つまり、人生の1/3の時間は仕事にあてることになります。

それにもかかわらず、仕事が楽しめないのは、あまりにつらくないでしょうか。
もちろん、「単純に給料のため」と割り切れている人もいるでしょう。
普通は割り切れない人も多い中、その考えでいられるのは素晴らしいことだと思います。

ただ、私の場合はそうではありませんでした。

  • 会社が経営不振になった
  • 高速道路で運転中に死にかけた
  • チャレンジしたネットビジネスが楽しめた

これらの出来事を経て、

「寿命がどんどん迫る中で、自分がつまらないことはしていられない」

そう思うようになりました。
自分の心臓には、目に見えない時限爆弾がセットされています。
今までの経験で、私にはそのカウントダウンの音が聞こえるようになりました。

たとえ才能やセンスがなかったとしても、それは関係ありません。
なぜなら、目的地への道中が楽しければ、ある意味それでOKなのですから。

フリーランスとして今はブログを構築中…

結局、私はフリーランスでやっていくために、会社を退職しました。
拾ってもらった恩は、長い間貢献したことで、まあ返せたかなと思います。

フリーランスとしては、自分で選択肢を増やすために、

  • 取材からのカメラ撮影&ライティング
  • WEBメディアの記事構成
  • ライター全体のマネジメント

などの仕事も請け負い、着々とスキルをみがきました。

そして、今はWEBライターとしてのスキルが認められて、フリーのWEBメディア編集にも携わっています。
給料は前職を超え、ようやく本当の意味で独立できたかなとほっとしています。

また、今はメンターから指導を受けて、ブログも本格的に構築中です。
アクセスが少しずつ集まり、収益も上がるようになってきたので、今後も続けていきたいです。

やっぱりブログを続けるには、何かしらの成果を手っ取り早く出すに限ります。
いきなり何十万円も稼ぐ必要はないので、たとえば、

  • 記事が書けるようになった
  • アクセス数が増えた
  • ブログの滞在時間が伸びた

といった変化でも立派な成果です。

そうすれば、「この作業はムダじゃなかった!」とわかり、ゴールも肉眼で見えるようになります。
そのように、しっかり指導を受けて学ぶことは、成果を出すための最短ルートと言えるでしょう。

年齢的に身動きが取れなくなっている人をサポートしたい

私がなんとか自分の行きたいレールへ進めたのは、プラスマイナスを含めた、いろいろな出来事や出会いがあったからです。
もし、そのうちの何かひとつでも欠けていたら、私は内面に抱えた不満や問題にずっと気が付かずにいたかもしれません。

そして、

  • フリーランサー養成講座へ参加したときに出会った仲間
  • メンターから一緒にブログ運営を教わる仲間

彼らと話すと、ネットビジネスをはじめる理由として、社会や自分の生き方に疑問をもった人が多かったです。
なので、私は

「自分たち以外にも、このままでいいのか疑問をもつ人が多いのでは?」

と考えるようになりました。

さらには、私と同じように年齢が上がるにつれて、社会的に身動きが取りにくくなっている人も少なくないのではないでしょうか。

「もう転職が難しそうで、今の会社にしがみつくしかない…」
「会社の給料が上がらず、ボーナスもカットされた…」
「会社がブラック化してきて、体も心も我慢の限界に近い…」
「会社の環境は悪いけど、定年までもうちょっと我慢すれば…」

私自身がそういった不安をずっと抱えていたので、そのつらさはよくわかります。
なので、自分と同じ境遇の人がいれば、サポートしてあげたいと考えるようになりました。

ネットビジネスで独立できるようになれば、人生の選択肢も増えます。
その結果、

  • 会社にそのまま残る(また嫌になれば、いつでも辞められます)
  • 趣味ややりたいことに集中する
  • 世界中を旅行する
  • 気の許せる仲間とビジネスをはじめる

など、自分の好きな生き方が選べるわけです。

ただ、私と同じように、ライティングやプログラミングでいきなり独立するのは正直オススメしません(笑)
私はライティングやプログラミングが性に合ったから本腰を入れられましたが、それがあなたにも当てはまるとは限らないからです。
やっていて楽しくなければ、今の仕事と変わらずに、ただつらいだけだと思います。
※もちろん、この方法による独立も興味があれば、私にご相談ください。

それよりも、私がおすすめしたいのは、『ブログ運営』の方ですね。
ブログであれば、通勤時間や休日にちょこちょこと作業ができるので、ネットビジネスの副業としては最適です。
そして、ブログの収益が本業のお給料を超えたタイミングで、独立するかどうかを決めればいいでしょう。

ブログは一度記事を書いてしまえば、それが資産になります。
つまり、記事がずっとお金を稼いでくれるわけですね。
なので、あなたが寝ている間にも、ブログによる収益が入り続けることになります。
そうやって収益が自動化できれば、あとは好きなことをやって、好きに暮らすことが可能です。

ブログのメリットは、他にも、

  1. 文章力は必要ない(むしろ小学生が読めるレベルで書いた方がいい)
  2. 初期投資が少ない(月に数千円ほど)
  3. 失敗したときのリスクが少ない(借金を背負うことはない)

などが挙げられます。
つまり、ブログの運営は、チャレンジのハードルが低いネットビジネスと言えるのです。

私も現在、メンターから指導を受けて、ブログ構築を行っています。
アクセス数は少しずつ増えて、収益も出てくるようになりました。
なので、私が目指す

『時間にもお金にもストレスにも縛られない自由な景色』

をあなたにも見てほしいです。

そのため、このブログやメルマガでは、ブログの運営方法を無料で公開しています。
ぜひチェックしてみてください!

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